重願寺について

重願寺の宗派

名  称
浄土宗
宗  祖
法然上人(源空)
開  宗
承安5年(1175)
本  尊
阿弥陀佛(阿弥陀如来)
総 本 山
華頂山 知恩院(京都東山)

  • 重願寺本尊 阿弥陀如来

  • 宗祖 法然上人御影(重願寺 蔵)

當山の歴史

當山は所伝によると天正18年(1590)千葉邦胤の女(娘)、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創され、ついで寛永6年(1629)普光観智国師(増上寺第十二世)の高弟、本蓮社願譽是哲上人によって開山され、當知院 不虚山 重願寺と称しました。
この寺号は『往生礼讃』という書物に唐代の善導大師みづからの信仰体験を記し、「深く阿弥陀佛を信じて称名念佛するものは必ず浄土に救いとろうと誓われたご本願は決して虚りではない」(當知本誓重願不虚、衆生称念必得往生)といわれた言葉に基づくものです。その後、寛文元年(1661)第六世綱譽溥達上人のとき、新大橋と本所一ツ目の間に移転、さらに、寛政7年(1795)第十世實譽寶観のとき、幕府御船蔵の御用により現在の猿江の地に移り、関東大震災、東京大空襲による戦災など数々の災害に遭遇しながらも法灯を伝えて今日に至っています。
本堂内のご本尊阿弥陀如来は、曽我兄弟ゆかりの尊像と伝えられ、墓地の正面に安置される「すなお如来」をはじめ「護国英霊供養塔」「三界万霊塔」や「子育て地蔵尊」などが安置されています。

重願寺の山門

重願寺の山門は、「重願寺開創400年記念平成大復興(平成12年)」の一環として建立されました。
當山では、寺院建築の象徴といえる伝統的な技法を用いた山門の建立を念願していたところ、法相宗 大本山薬師寺・安田暎胤管長のご好意により、薬師寺の「講堂」(教場)に使用されていた由緒ある木材を用材として頂戴することができました。
薬師寺の「講堂」は、寛政7年(1795)に重願寺が創立の地日本橋馬喰町より現在の地・猿江に移転したのと同時期に建立された歴史ある建物で、その用材の樹齢は400年に達します。
建築にあたっては、宮大工牧野重義棟梁(東京足立区在住)にお願いし、約8ヶ月の期間を経て「四脚門形式の山門」が完成。大和の郷にあった歴史ある建物は、牧野棟梁の手によって柱の1本1本に繊細な彫刻がほどこされ、500キロ離れた江戸の地に「山門」として蘇りました。
この山門は當山の寺宝として、檀信徒の皆様、地元の皆様と末永くご護持していきたいと念願しております。

みまもり観音とお写経

「みまもり観音」は、関東大震災や東京大空襲などで殉難された多くの方々のご冥福を祈り、天災や戦争のもたらす悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、當山の檀信徒をはじめ、猿江地区六ヶ町内有志を中心に一万数千巻に及ぶお写経を勧進、昭和56年9月1日、法相宗 大本山 薬師寺 高田好胤管長を開眼導師に迎えて造立開眼されました。
「みまもり観音」の名称には、観音さまの限りない大慈悲によって亡き人々、いま生きる私達を日々に「みまもり給え」という祈りが込められています。その尊像は、十八世住職(徹誉旭雄上人)の熱意に打たれ、造立の趣旨に深く共鳴された薬師寺高田管長のご好意により、同寺東院堂の本尊である国宝「聖観音像」を原型に拝借、実写して二・二倍にし、金寿堂主、黄地佐平氏(滋賀県無形文化財)の指揮のもと鋳造されました。

重願寺のお写経は、浄土宗の根本経典である『無量寿経』に説かれる四言八句偈文を中心とした一説を書写いたします。お写経の形式は「一字蓮台経」といい、経文の一字一字を蓮台の上に書き写してゆきます。みなさまが書写されたお写経はねんごろにご供養の上、保存用カプセルにおさめ、みまもり観音像の台座下の収納庫に納経いたします。
◎納経供養費 一巻 2,000円